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ここぞ御殿場夏ならば3(09/01/12)

御殿場行き普通列車に乗り、出でてはくぐるトンネルの前後の山北小山駅を過ぎてゆく。この辺り先日の東京女子マラソンの優勝者を出した土地のようで、駅駅に巨大横断幕が。

雲に隠れて彼方に見えもしない富士の嶺は、御殿場が近づいても我がそばに来るどころか相変わらず見えもせず、そうこうしている間に御殿場駅に着。

ここぞ御殿場であるが、富士山はなんとなく登り一辺倒で登ってもあまり楽しそうでないように見えるし、数年前の業界の煽り立て方が癪に障ってもいたので、我はたとえ夏であっても登山を試みることはないであろう。

ましてや今は夏ではないし、おいしい麦酒が待っていてくれている筈なので先を急ごう。


目的のビアレストランは、御殿場駅から無料バスが出ているらしいのだが、今回は最寄り駅の岩波駅から歩いてアプローチする事にして、沼津行きに乗り換える。

高原風の風景の中を走って、11時頃、どうも雲行きの怪しいままに目的の岩波駅に到着した。

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ここぞ御殿場夏ならば2(09/01/12)

下曽我駅の辺りはいわずと知れた曽我氏発祥の地であって、徘徊しようと思えば多分ネタはたくさんあるのだろうが、今日は別の主題をもって出かけてきたので、割愛。

現在の下曽我は特別繁華な場所ではないが、なんとなく賑わいの残滓のようなものを感じさせる場所であった。

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平日の大原3(09/02/02)

さて、新幹線の時間もあるので、市内に戻ることにしよう。

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売店通りを1本ずらした道を降りてゆく。道端に石仏が佇んでいたりして、京都市内からバスが頻発する(概ね1時間に4~5本)交通至便な地であるのが信じがたいほどに、すっかり山里の趣きだ。

帰りは八瀬遊園駅から叡電に乗って帰ることにして、バスを降りてみたら違和感が。
駅の名前が八瀬比叡山口駅と変わっている。そして八瀬遊園地が消滅して、跡地に何やら下品な名前のリゾート施設が建っていた。

だが、駅舎は昔の通りに残っていて、一安心。ケーブルの方の駅もチラリと見ただけだが昔通りのようで、これも一安心。

両駅舎をジロジロと観察して行きたかったのだが、時間の都合で割愛。
発車時間の迫った電車に登山客と共に飛び乗って、京都駅へと向かったのであった。

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平日の大原2(09/02/02)

シーズンオフの平日で天気もよくなく寒いので、さすがに人は少ない。

まずは三千院へ。
廊下をぐるぐる回されて、お庭に降りる。

お庭も仏様も美しいが、境内のあちこちから漂うあからさまな商売っ気がどうも興をそぐ。奥も同感らしく、せっかく引っ張って来たものの、それほど評価は高くなかった(笑

一通りの拝観を済ませ、テレビだか何だかのロケを横目に見ながら山門を右へ出て、今度は勝林院に向かう。
蕎麦屋のご主人に、三千院に行くならこちらもと拝観を勧められたお寺で、大原問答の舞台になった場所だそうだ。迂闊にも全く知らなかったのだが。

こちらの方は全く商売っ気は感じられない。
それでもJR東海の「そうだ」キャンペーンのネタになったり、ライトアップされたりするようなので、来る日を間違えるとウンザリする羽目になったのかも知れないが、今日のところは静寂そのものだ。

ただ、あれを見ろこれを見ろという張り紙があちこちに貼られていて煩いという気がしないでもないが、これは親切だと思っておこう。

山を背に大きなお堂が建っている。感じとしては鎌倉の妙本寺の一番奥、祖師堂あたりに似ているかもしれない。

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本堂には巨大な阿弥陀如来が金色に輝いている。
本堂の中に入りボタンを押すと声明が流れてくる。

本堂の裏側では水が流れ落ちる音が響いているし、人気は少ないしで、気候のよい頃に何時間もボンヤリしていると気分よさそうだ。

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こんな静かで心安らぐ場所にアライグマを捕獲する為の罠が置かれていた。
なかなかに大変なご時世のようだ。

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平日の大原1(09/02/02)

冬らしくどんよりとした寒々しい平日。
奥ともども、大阪で午前中に体が空いたので、京都の大原に寄って帰ることとした。

京阪電車で京都へ向かう。淀の辺りにさらに道路が増えて景色が変わってしまっているのは予想の範囲内であったが。清水五条とか、祇園四条とか、いつからか知らないが駅名が気持ち悪いことになっていて吃驚。

出町柳に荷物をデポり、京都バスで大原を目指す。

平日の昼過ぎというのに席が埋まる程度には乗っていて、乗り降りもかなりある。もっとも観光客風はほんの数人で、大部分は地元の買い物客。少々離れているとは言え、叡電との併走区間の筈だが、道の流れ具合も悪くないので、こまめに止まるバスの方がありがたいという人も多いのだろう。

宝ヶ池で右に曲がる頃には、買い物客の大部分は降りてしまい、車内は閑散としてきた。バスは山中に入り、途中の集落で少しずつ人を降ろしながら大原に向かう。終点大原についた時には、乗客は観光客風数名だけになった。

バスターミナルのそばの蕎麦屋で遅めの昼食。
貰った地図を見ながら、寂光院に行こうか、三千院に行こうか、どちらも行かずに野歩きしようか、と考えたが、大原に来たことがないと言う奥の為に基本を押さえておく事にして、三千院に向かう事にした。

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安倍晴明神社(09/01/31)

阿部野橋駅周辺は再開発真っ最中で、飲み屋の立ち並んでいた一帯はすっかり更地になり、駅前の歩道橋から見渡すとこんな感じ。

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用事をひとつ済ませ、次の用事まで少し時間があったので、安倍晴明公ゆかりの晴明神社を訪ねてみた。

と言っても、下調べもなにもなくただ思いついただけなので、ちゃんとした位置がよく判らない。手持ちの地図に見つけた「晴明通り」の文字だけを頼りに、阪堺電軌沿いに歩いていった。

東天下茶屋電停の辺りをしばらく探し回ると、幸いにして発見。暗くなりかけていたが、ご挨拶をしてきた。

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阿部野橋駅周辺は更地になってしまったが、この辺りは昔からの雰囲気を色濃く残していて楽しそうだ。いずれ丹念に歩き回る機会を持ちたい。

CANON IXY DIGITAL L3

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奈良にタッチ(09/01/31)

蟹満寺は割愛して奈良経由で所用のある阿倍野に向かうこととしたが、昼食をかねて興福寺の五重塔の足元くらいまでは散歩してから行こうということになった。

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前々回くらいに来たときにオムライスのおいしかった餅飯殿町 のあたりのお店で昼食を済ませてから猿沢の池の畔に出、五重の塔を見上げながら石段を登る。

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間もなく東京に来るであろう阿修羅達がいる国宝館のそばを通ってゆるゆると近鉄奈良駅にと向かった。

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南山城を目指す3(09.01.30)

蟹満寺割愛

棚倉駅は西側に広場が造られていたり、東西の真新しい自由通路が造られていたりするものの駅の本屋じたいは、昔ながらの様子。

ここまで来ると蟹満寺は指呼の距離であるが、事情により急遽割愛して、奈良線で奈良に向かうことになった。

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南山城を目指す2(09.01.30)

湧出宮

木津川の橋を渡って棚倉駅の近くまで来ると、湧出宮(和伎神社)が見えてくる。
反逆者(←朝廷の側の用語である)が討たれた際、祝園神社には首が飛んでゆき、湧出宮には胴体が残ったという、ここもおっかない場所だ。

南山城と言われるこのあたり、もう少し南の浄瑠璃時周辺を除くと、通り過ぎるばかりで降りたことがなかったのだが、どうも一筋縄ではゆかないものを感じさせる。

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いやに上下方向がひしゃげた鳥居。
手前に見えるのは生首でも胴体でもなく、ここまでさして来た傘。

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ひしゃげた鳥居だけでなく、普通の鳥居もある。

写真はOLYMPUS E-300 + ZD 14-45

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南山城を目指す1(09.01.30)

祝園神社


所用で関西方面に行った。

天気は今ひとつであるが、水かきの釈迦如来が居る南山城の蟹満寺を目指してみた。青春18きっぷシーズンは終了したので、関西圏における足はするっとKANSAIの2DAYチケットである。


京都から近鉄で新祝園まで南下してから徒歩行動開始。

第一目標は木津川にかかかる橋のたもとの祝園神社。 
崇神天皇に背いた朝臣が討伐された際(もちろん朝廷の側の立場からの言葉使いである。朝廷の敵の立場からはまた別の言葉使いになるはず)、木津川の向こうから首が飛んで来たという怖い神社である。

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OLYMPUS E-300 + ZD 14-45

なにやら鳥居の向こうはお寺みたいな風情だが、神社です。

神仏分離の際、政治状況の変化を身近に見ていた西日本では多寡をくくっていい加減にやる傾向にあり、一方で遠いところで起こった政治状況の変化を突然の事として受け取った東日本では真面目にやてしまう傾向にあった、というお話しを読んだことがある。

もしかしたら、そういったことも反映しているのか・・・。

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